延喜式内社 御調郡一の宮
賀羅加波神社
疫病鎮護の勅願所で茅の輪神事発祥の古社、賀羅加波神社の公式ホームページ
御祭神 当社について
御祭神
賀羅加波神社
正殿 天照大御神
素戔嗚尊
豊受比売命
相殿 天太玉命
天宇受売命
瀬織津比売命
摂社
宿里神社 須佐之男命
蘇民将来命
太久良神社 八百万大神
当社について
御創建
不明、ただし延喜式神明帳に奉記さるる事から延喜(900~)年間には既に國の重要な祭祀を執り行う主要な神社であった事は明白である。
御由緒
社名の由来については諸説あるが、賀羅加波の文字は万葉仮名であり漢字の意味はなく、和久原川が当社付近で伏流するため干川と称され、地名、社名に通じた説が有力である。
当社は延喜式神明帳に御調郡一座賀羅加波神社とある国幣小社であり御調郡一の宮、疫病鎮護の勅願所として尊崇を集めた。御神体は延喜五年師走二六日、宣下安鎮し奉られた勅願の御霊代(木像)である。
以後毎年、神祇官より国司を通じて案下の幣帛を供進されていた。小早川隆景公の崇敬篤く、神田四五町歩の寄進も受けていたが、福島正則によって、影が海まで届いていたと伝わる程の大樟の神木と共に没収された。
その樟の根の一部は拝殿内の絵馬に掲げられ、縁起を伝えている。明治六年二月に郷社の社格を承け益々民衆の崇敬を高めた。
亦、摂社宿里神社は山城国祇園八坂神社の本宮であると伝えられ、茅の輪神事の発祥であるとも考えられている。
特殊神事(飛射神事)
一時中断していたが、現在は節分祭に併せて執り行われる。藝藩通志によると、梅の木を以て弓を作り、鬼門艮神に向かい矢を放ち、次に鬼の字をしるした的を射た。それに続いて参拝者が一矢ずつ射放つこととなっていた。現在、梅の木を用いた弓は復元を摸索しているところである。
御神木
拝殿東側に壱千年以上の齢を経ただろう欅、西側には椋、正面には大公孫樹と云う具合に三本もの巨木が境内地内に根を下ろしていることで、祭神に対する畏敬の念をより高めている。
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※駐車場は境内奥にございます。(約20台)